M. K. Čiurlionis National Museum of Art, Kaunas, Lithuania.
《春》(部分)1907年、テンペラ/紙
国立M. K. チュルリョーニス美術館、カウナス
M. K. Čiurlionis National Museum of Art, Kaunas, Lithuania.
Vilnius Kaunas Druskininkai Plungė Warszawa
ヨーロッパ北東部に位置する画家の祖国、リトアニア。豊かな自然や中世からの街並みが美しい小さな国の風景を、写真で紹介します。チュルリョーニスのゆかりの地をたずねながら、旅のきもちで。
▶︎ チュルリョーニス作曲の音楽を聴きながら
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Prelude in D flat major, VL 253
Prelude for the Whitsunday in D major, VL 337a
Adagio in A major, VL 246
ニ長調 VL337a アダージョ イ長調 VL246
ヴィリニュス / Vilnius
リトアニアの首都。街の中心でヨーロッパ最大級の旧市街には歴史的な建築物や教会が集まり、1994年にヴィリニュス歴史地区として世界遺産に登録された。石畳の道と対照的に、高層ビルが並ぶ近代的な新市街をネリス川をはさんで臨むことができる。街のいたるところでチュルリョーニスの存在をみとめられ、芸術家に対する市民の敬愛を感じられる。*
リトアニア最大の空の玄関・ヴィリニュス空港。画家の生誕150周年を機にヴィリニュス国際チュルリョーニス空港と呼ばれている(2029年まで予定)。空港の到着ゲートには絵画の一部や、出発ターミナル外壁には大きなサインがあしらわれ、行き交う人々を迎えている。*
1907年秋以降に画家が借りていた部屋は、M. K. チュルリョーニス・ハウスという記念館として残されている。一部のアンティーク家具は当時のものとか。*
1907~1908年にチュルリョーニスが過ごした場所であることが示されている。その頃、後に妻となるソフィヤ・キマンタイテと出会った。
歴史ある建物が壮観なリトアニア国立図書館。本の背を利用した本棚のアートのひとつに、チュルリョーニスの顔も発見。*
旧市街の「夜明けの門」からほど近いラソス霊園。多くの有名人が眠り、チュルリョーニスのお墓もここに。今なお新鮮な花々が供えられ、人々に愛され続ける芸術家であることが伝わる。*
カウナス / Kaunas
リトアニア第二の都市。1908年に第2回リトアニア美術展が巡回し、企画開催にも携わったチュルリョーニスの60点以上の作品が展示された。現在は、国立M. K. チュルリョーニス美術館のある街として作品が多くの人に愛されている。
首都ヴィリニュスからは特急列車に乗り約1時間で到着。第二次世界大戦時にユダヤ系難民への「命のビザ」発給で有名な杉原千畝もこの地に赴任した。*
国立M. K. チュルリョーニス美術館。チュルリョーニスの絵画作品だけでなく、リトアニアのフォークアートや伝統的な十字架、「悩みのキリスト」として知られるキリスト像の木彫など多数展示され、国の伝統文化や歴史にも触れられる。
国立M. K. チュルリョーニス美術館の館内。王冠のような形をした正面玄関のたたずまいや、シンプルながら曲線の美しい回廊、落ち着いた展示空間に居心地のよさを感じられる。
展示室内の様子。チュルリョーニスの110点以上の絵画を常設展で鑑賞できる。多くの子どもや学生も訪れ、チュルリョーニスの芸術に親しんでいる様子がうかがえる。*
カウナスの街並み。2023年にモダニズム建築都市として世界文化遺産に登録された。*
ドルスキニンカイ / Druskininkai
湖が美しいドルスキニンカイは、かつて保養地として首都やワルシャワなど国外からも貴族が訪れ、いまでも温泉を楽しむ憩いの地となっている。チュルリョーニスはオルガン奏者であった父親が招かれたことでこの街に越した。休暇などで度々訪れた画家の故郷ともいえるような、心象風景を垣間見ることができる。
チュルリョーニスの育った家は現在記念館となっている。幼少期から初等教育終了までの子ども時代を過ごし、その後も度々訪れて創作活動を行った。
9人兄弟の長男として、仲睦まじい家庭で育ったといわれる。家族を大切にした画家の姿が浮かび上がる。
1975年に記念として建てられたチュルリョーニスの巨大な彫刻(リトアニアの著名なモダニズム彫刻家・Vladas Vildžiūnas/建築家・Rimantas Dičiusの手になる)。一息つけるような広場で、行きかう人々にインパクトを与えている。*
歩いているとチュルリョーニスの絵を発見。湖のまわりに見つけることができ、美しい風景と画家の色遣いを目で楽しむことができる。*
プルンゲ / Plungė
リトアニア北西部、ジェマイティヤ地方にある都市。チュルリョーニスは14歳で同地の音楽学校に入学。様々な楽器を学び合唱団で歌い、フルート奏者としてオーケストラのコンサートで演奏した。
プルンゲ近郊の小さな町シャテキアイにある教会。ここで34歳のチュルリョーニスは、ヴィリニュスで出会った若手作家のソフィヤ・キマンタイテと結婚式を挙げた。
教会の中には二人の結婚式が執り行われたことが記念のプレートに示されている。
リトアニアの伝統的な木彫の十字架。カトリック信仰が厚く、各地の道端で見かけることができる。チュルリョーニスは1909年にジェマイティヤ地方に滞在した際、これらの十字架をモティーフに多数の絵画や素描を制作した。
1882年以降、オルガン奏者の父親から演奏の手ほどきを受ける。のちに作曲家として活躍するチュルリョーニスは、7歳で楽譜を読みこなすようになった。
チュルリョーニスが弾いたといわれるオルガンの残る教会。
ワルシャワ / Warszawa
ポーランドの首都、ワルシャワ。第二次世界大戦から復興した旧市街「ワルシャワ歴史地区」は世界遺産に登録されている。ピアノの詩人として知られるフレデリック・ショパンは祖国のために音楽を作りつづけた。チュルリョーニスはそのショパンの名を冠した音楽大学で学び、卒業後はワルシャワで音楽の個人レッスンにより生計を立てた。
ワルシャワに位置する最古の音楽学校であるワルシャワ音楽院(現在のフレデリック・ショパン音楽大学)。チュルリョーニスは19歳で入学し、ピアノ科から作曲科に転じながら、さまざまな分野の学びを得た。
現在はキャンパスの位置が異なり、チュルリョーニスが通った時代のキャンパス跡地には静かな木陰が広がる。
アート作品がひしめくキャンパスの敷地。若者たちのエネルギーを感じる。
*のついた写真を除き、撮影はⓒYayoi Arimoto
写真家 在本彌生 / Yayoi Arimoto
雑誌、書籍、写真展などで作品を発表。世界各地の衣食住に根付いた美を求め撮影する。
写真集に『わたしの獣たち』(青幻舎)、『熊を彫る人』、『インド手仕事布案内』(ともに小学館)、『Lithuania,Lithuania,Lithuania!リトアニア リトアニア リトアニア!』(アノニマ・スタジオ)など。
協力=リトアニア政府観光局、Lithuanian Culture Institute